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大島紬泥染め職人の家に生まれたごく普通の男がひょんなことからお坊さんに!? 全国的に廃寺傾向の中、奄美生まれ紬屋の息子が新寺建立を夢見て地域で奮闘中! 日常何気なく感じた事から仏教学まで分かりやすく書き綴っていきたいと思います。

2011年04月10日

法事を先延ばししても良いか?

皆さんお久しぶりです。僧侶のジャクシンです。

今日も自作自演型Q&Aをしてみたいと思います。
実際にご法事をされる方から多い質問ですので参考になればと思います。


Q:命日を過ぎて後日、法事を行っても良いのでしょうか?親戚や知人に聞くと「命日よりも早くだったら良いけど先延ばしは絶対いけない!」と言います・・・


A:一般的な作法では命日か命日よりも先に法事をするのがマナーとされていると思います。大事な故人の命日を忘れてはいけない、また故人に対しても命日を忘れてはいないと言うアピールであり故人を大切にとの先達からの戒めの言葉なのでしょう。

それとは逆にお祝い事は先延ばしても許されるなどと聞いたりもします(もちろん地域差はありますが)

浄土真宗での法事の場と言うのはあくまでも故人を機縁として仏法を聞く場です。決して亡くなった方を迷いの存在として摩訶不思議な加持祈祷をし鎮魂しているわけではありません。故人を偲び、集まった人たちが仏法に出会うことが目的であると言えます。

その命日の日が平日だったり、他の予定と重なったりとナカナカこの日!と決めたものの全員の都合が合わない、なんてことは良くあることですよね。

その場合考え方をこう変えられたらどうでしょう。先人先達の教え通り、お祝い事は先延ばしにしても良いという考え方があるのだから法事も故人が仏になった成仏の記念日としてお祝いの意味合いを持って先延ばしされたら如何でしょうか?

イヤイヤイヤイヤicon44大事な家族を亡くしてまだ数年しか経ってないのにとてもじゃないけど「お祝い」だなんてとてもじゃないけど思えない!
と仰る方も当然いらっしゃるでしょう。
ごもっともです。
出来るなら命日通り、もしくは命日前に法事を営むのが理想ではあります。
でも万が一、命日よりも後にしか皆が集まることが出来ない場合はどうぞご安心して命日過ぎてご法事を営んでください。何故なら仏教では「死」を苦から離れた永遠の安楽、と考え決してマイナスなイメージは無く尊いものだと考えます。
「悲しい」と「尊い」「有難い」が混在する不思議な場であり「忌み事」や「穢れた事」ではなく少なくとも僧侶は弔事だとは考えていません。

身近なものを亡くされた方も時間が経つたび、年月を重ねる度に段々とその悲しみも和らいでいくようです(心理学では「喪の作業」「喪の仕事」等と言ったりします)
ではお亡くなりになって何年ぐらいから弔事でいつからが慶事に切り替わるのでしょう?それとも今後ずっと私達は悲しんで生きていかなくては行けないんでしょうか!?

仏教徒であるなら本当は最初から「死」を尊いものだと思うべきところを素直に受け入れる事が出来ないでいる自分に気付かされていく浮き彫りにされた“自分の心”に出会うのもこの法事の場だと思います。

九州に住むあるご住職が父親を亡くされ、私宛に年賀状をくださいました(仏教では喪中欠礼の作法も無い)
そのハガキには
「〇〇歳を一期とし往生あそばれた父の事を思うと今は悲しい気持ちでいっぱいですが、それと同じく尊い気持ちでいっぱいです」と書かれていました。

皆様におかれましても
いつの日かその悲しみが
寂しいから懐かしい、懐かしいから尊い、尊いから有難い
となっていつの日か慶事としてご法事を営んでいけることを願っています。


 byジャクシン


追記:

文章を手短に書くことが出来なくてスミマセン。
赤い大文字で書いてあるところだけ読めば大体の内容が分かると思います。  


Posted by ジャクシン at 09:14Comments(2)Q&A