2013年03月22日
友引の日にお葬式してもいいの?
もう葬儀で何回おしゃべりしたしただろうか
「友引」
について書き記しておきたいと思います。
『友引の日にお葬式をするなんて』
数日前に無事お葬式を済ませたAさん。
Aさんは50代男性で、お送りした方は(亡くなった方は)Aさんのお父さん。
初めての喪主を務め、少し緊張と戸惑いもありながら何とか式を終えました。
良いお葬式だったとみんなも言ってくれたので安心していたAさん。
しかしある日、一段落しつつも雑事に追われているAさんのもとへ親戚の伯母さんがカンカンに怒りながら訪ねてこられました。
おそるおそる訳を尋ねてみると、どうも伯母さんはお葬式の日がちょうど友引の日だったのを後々知り、そのことについて怒っている様子でした。
「あんた、大変なことしてくれたな」
「あんたは若いから知らんかもしれんけど、友引の日は“友を引く”っち言って死んだ人が寂しがって身近な者をあの世に引っ張っていってしまうんど」
「家族や親せきに何かあったら責任とれるのか!?」
Aさんは
『 友引 = 迷信 』
と思っていたので、そんなことは全く気にせずお葬式の日程を進めていたのですが
突然のクレームに何も言い返せず黙って伯母の怒りが治まるのを静かに待つばかりでした。

『六曜』
友引は六曜(ろくよう)と言う暦の中のひとつで六曜とは戦やギャンブルの吉凶を占うために用いた中国の民間信仰です。
引き分けもしくは物言に勝負のつかない日、良くも悪くもない日とされておりました。
もともとは「共引(ともびき)」と書いてあるのを日本に伝えられた時に「友引」の字に変えられたようです。
日本人の適当な解釈により意味も用いられる漢字も変えられてしまったのです。
(ちなみに「仏滅」は仏様が滅すると書くので仏教的な言葉かと思われますが全く関係ありません。本当は「物滅」と書き同じく現在では元の意味と漢字が間違って使われています)
『友引をそこまで気にするのなら』
私には日頃から疑問に思っていることがあります。
ある程度でしたら日を動かせる葬式の日にちが友引かどうか気にする前に
何故、亡くなった日が友引かどうか気にしないんでしょうか?
もし亡くなった方が本当に身近な者を連れて行ってしまうとしたら亡くなった日ではないのか?何故1~3日経ってからなの??
さらに言えば日の良し悪しが気になるのでしたらご自分が、またはお子さんやお孫さんが生まれた日が良い日か悪い日か気になさらないのでしょうか?
言っても始まらない、言ってしまったら身もふたもない都合の悪いことには触れない事にしているようにさえ見えます。
『選べる日だからこそ』
生まれる日や亡くなる日は選べないけどお葬式の日は選べるからこそ世間的に悪い日と思われてる日にわざわざ式を挙げる必要はないじゃないか、みんなが安心できるじゃないか、と言われる方もいるかも知れません。
お釈迦様の説かれた教えの目的を「抜苦与楽(苦しみを抜き安楽を与える、ばっくよらく)」と言い表します。
本当の苦しみとは何か?本当の楽とは何か?
それは迷信を真実であるかのように信じ、一時的な楽を求めてさらにその迷信に惑わされていく姿こそが本当の苦しみであると仏教では考えます。
『たかが迷信』
例えば血液型占いと言うものがあります。
これには科学的根拠がないと言われてますが、コミュニケーションツールや飲み会での盛り上がるネタとしてなら問題はなさそうです。
これも迷信のひとつでしょうが時と場合によっては笑い事ではない迷信もあるのです。
先ほど皮肉やジョークを込めて、
何故お葬式の日が友引かどうか気にする前に亡くなった日が友引かどうか気にしないのか、
何故子供が生まれる日の良し悪しを気にしないのか、と書きました。
でも本当に子供の出生を気にする迷信が過去にあったのです。
『丙午』
それを丙午(ひのえうま)と言います。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ひのえうま生まれの女性は気性が荒く夫を殺すとか
夫を殺すまででなくてもひのえうま生まれの女性と一緒になったら不幸になる、みたいな迷信がありました。
実際、ひのえうまの年の出生率はその前後の年のそれより明らかに低いのです。
と言う事はあまり考えたくないのですが、子供の将来を杞憂して中絶などにより生まれてくるはずだったいのちも絶たれてしまった例もあるということでしょう。
60年に1回あるひのえうまの年、
その出生率も近代なればなるほど低下していってるんです。
つまり昔の人より現代の人の方が迷信にとらわれていると言う事ですかね??
楽しい迷信もあればこのようにいのちに関わる迷信もあるのです。どうぞ惑わされないようにしてください。
『最後に』
お読みくださってありがとうございます。
いつものようにダラダラと長くなってしまいました。
2回に分けて書いた方が良かったのかも知れませんが
出来たら一気に読んでいただきたかったのでこのように長文になってしまいました。
「友引」については
元は中国の古い暦の読み方で→
ギャンブル用語や戦の吉凶日を占うために用いられ→
意味は「引き分け」「勝敗がつかない日」→
日本に伝わり「友人を引く」といった読みと意味に故意に歪められ→
そこから「友引信仰」らしきものが出来上がって現在に至る。
この根拠さえ知っておけば大丈夫です。
友引にお葬式をしたらいけないという方は大体
「昔の人がそう言い伝えている」とか
「身近な者を連れて行ってしまうらしい」
「何となく嫌だ」
とか根拠としては曖昧なことばかりです。
根拠をはっきりさせてそのうえでどう判断されるかはご覧の方に委ねます。
また全ての国語辞典などでは俗信と定め、伝統的な神社やお寺では六曜を用いることを迷信として用いるのを禁じています。
「友引」
について書き記しておきたいと思います。

『友引の日にお葬式をするなんて』
数日前に無事お葬式を済ませたAさん。
Aさんは50代男性で、お送りした方は(亡くなった方は)Aさんのお父さん。
初めての喪主を務め、少し緊張と戸惑いもありながら何とか式を終えました。
良いお葬式だったとみんなも言ってくれたので安心していたAさん。
しかしある日、一段落しつつも雑事に追われているAさんのもとへ親戚の伯母さんがカンカンに怒りながら訪ねてこられました。
おそるおそる訳を尋ねてみると、どうも伯母さんはお葬式の日がちょうど友引の日だったのを後々知り、そのことについて怒っている様子でした。
「あんた、大変なことしてくれたな」
「あんたは若いから知らんかもしれんけど、友引の日は“友を引く”っち言って死んだ人が寂しがって身近な者をあの世に引っ張っていってしまうんど」
「家族や親せきに何かあったら責任とれるのか!?」
Aさんは
『 友引 = 迷信 』
と思っていたので、そんなことは全く気にせずお葬式の日程を進めていたのですが
突然のクレームに何も言い返せず黙って伯母の怒りが治まるのを静かに待つばかりでした。

『六曜』
友引は六曜(ろくよう)と言う暦の中のひとつで六曜とは戦やギャンブルの吉凶を占うために用いた中国の民間信仰です。
引き分けもしくは物言に勝負のつかない日、良くも悪くもない日とされておりました。
もともとは「共引(ともびき)」と書いてあるのを日本に伝えられた時に「友引」の字に変えられたようです。
日本人の適当な解釈により意味も用いられる漢字も変えられてしまったのです。
(ちなみに「仏滅」は仏様が滅すると書くので仏教的な言葉かと思われますが全く関係ありません。本当は「物滅」と書き同じく現在では元の意味と漢字が間違って使われています)
『友引をそこまで気にするのなら』
私には日頃から疑問に思っていることがあります。
ある程度でしたら日を動かせる葬式の日にちが友引かどうか気にする前に
何故、亡くなった日が友引かどうか気にしないんでしょうか?
もし亡くなった方が本当に身近な者を連れて行ってしまうとしたら亡くなった日ではないのか?何故1~3日経ってからなの??
さらに言えば日の良し悪しが気になるのでしたらご自分が、またはお子さんやお孫さんが生まれた日が良い日か悪い日か気になさらないのでしょうか?
言っても始まらない、言ってしまったら身もふたもない都合の悪いことには触れない事にしているようにさえ見えます。
『選べる日だからこそ』
生まれる日や亡くなる日は選べないけどお葬式の日は選べるからこそ世間的に悪い日と思われてる日にわざわざ式を挙げる必要はないじゃないか、みんなが安心できるじゃないか、と言われる方もいるかも知れません。
お釈迦様の説かれた教えの目的を「抜苦与楽(苦しみを抜き安楽を与える、ばっくよらく)」と言い表します。
本当の苦しみとは何か?本当の楽とは何か?
それは迷信を真実であるかのように信じ、一時的な楽を求めてさらにその迷信に惑わされていく姿こそが本当の苦しみであると仏教では考えます。
『たかが迷信』
例えば血液型占いと言うものがあります。
これには科学的根拠がないと言われてますが、コミュニケーションツールや飲み会での盛り上がるネタとしてなら問題はなさそうです。
これも迷信のひとつでしょうが時と場合によっては笑い事ではない迷信もあるのです。
先ほど皮肉やジョークを込めて、
何故お葬式の日が友引かどうか気にする前に亡くなった日が友引かどうか気にしないのか、
何故子供が生まれる日の良し悪しを気にしないのか、と書きました。
でも本当に子供の出生を気にする迷信が過去にあったのです。
『丙午』
それを丙午(ひのえうま)と言います。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ひのえうま生まれの女性は気性が荒く夫を殺すとか
夫を殺すまででなくてもひのえうま生まれの女性と一緒になったら不幸になる、みたいな迷信がありました。
実際、ひのえうまの年の出生率はその前後の年のそれより明らかに低いのです。
と言う事はあまり考えたくないのですが、子供の将来を杞憂して中絶などにより生まれてくるはずだったいのちも絶たれてしまった例もあるということでしょう。
60年に1回あるひのえうまの年、
その出生率も近代なればなるほど低下していってるんです。
つまり昔の人より現代の人の方が迷信にとらわれていると言う事ですかね??
楽しい迷信もあればこのようにいのちに関わる迷信もあるのです。どうぞ惑わされないようにしてください。
『最後に』
お読みくださってありがとうございます。
いつものようにダラダラと長くなってしまいました。
2回に分けて書いた方が良かったのかも知れませんが
出来たら一気に読んでいただきたかったのでこのように長文になってしまいました。
「友引」については
元は中国の古い暦の読み方で→
ギャンブル用語や戦の吉凶日を占うために用いられ→
意味は「引き分け」「勝敗がつかない日」→
日本に伝わり「友人を引く」といった読みと意味に故意に歪められ→
そこから「友引信仰」らしきものが出来上がって現在に至る。
この根拠さえ知っておけば大丈夫です。
友引にお葬式をしたらいけないという方は大体
「昔の人がそう言い伝えている」とか
「身近な者を連れて行ってしまうらしい」
「何となく嫌だ」
とか根拠としては曖昧なことばかりです。
根拠をはっきりさせてそのうえでどう判断されるかはご覧の方に委ねます。
また全ての国語辞典などでは俗信と定め、伝統的な神社やお寺では六曜を用いることを迷信として用いるのを禁じています。
2012年09月30日
ありがとうございました!
土曜日台風最中に、無事???セミナー終了しました・・・。
雨で足元悪い中、いえ、台風で身の危険を感じながらご来場くださった方々、
ありがとうございました。
心から感謝申し上げます。
携帯にエリアメールが届くたびに、
『これはセミナーどころではないのでは???』
と面喰っていたのですが、雨にも負けず?実施させていただきました。
今回のお勉強会は私たちには初めての経験で、
場所の確保や宣伝、資料作成など何から何までとてもいいお勉強になりました。
今回はまさかの台風と重なるという事件にも見舞われたことですし、
是非お天気のいい日を見計らって近日、今一度行いたいと思います!!
もしご興味をもたれた方、ぜひご参加ください。
また、本日の奄美新聞の方に、この度の勉強会を取り上げていただき、ありがとうございました。
本文中の内容に少し間違いがございましたので、訂正させていただきたいと思います。
今回のセミナーは私ども寂心庵により企画、準備にて行いました。
個人それぞれのお葬式に関する知識向上、および作法のお勉強会を目的としたものです。
奄美苑との提携等は全くございません。
次回のお勉強会については葬儀社の方が来られるとは限りませんのでご了承下さい。
また詳しくは、後日ブログにて報告させていただきます。
ありがとうございました。
合掌
雨で足元悪い中、いえ、台風で身の危険を感じながらご来場くださった方々、
ありがとうございました。
心から感謝申し上げます。
携帯にエリアメールが届くたびに、
『これはセミナーどころではないのでは???』
と面喰っていたのですが、雨にも負けず?実施させていただきました。
今回のお勉強会は私たちには初めての経験で、
場所の確保や宣伝、資料作成など何から何までとてもいいお勉強になりました。
今回はまさかの台風と重なるという事件にも見舞われたことですし、
是非お天気のいい日を見計らって近日、今一度行いたいと思います!!
もしご興味をもたれた方、ぜひご参加ください。
また、本日の奄美新聞の方に、この度の勉強会を取り上げていただき、ありがとうございました。
本文中の内容に少し間違いがございましたので、訂正させていただきたいと思います。
今回のセミナーは私ども寂心庵により企画、準備にて行いました。
個人それぞれのお葬式に関する知識向上、および作法のお勉強会を目的としたものです。
奄美苑との提携等は全くございません。
次回のお勉強会については葬儀社の方が来られるとは限りませんのでご了承下さい。
また詳しくは、後日ブログにて報告させていただきます。
ありがとうございました。
合掌

先日より画像をお借りしていますのは
『聖☆おにいさん』
という漫画です。
イエスとブッダが登場してくるいわゆる「ギャグ漫画」なのですが、
私はそのシュールさが大好きです。
ぜひ興味のある方は読んでみてください!
2012年09月29日
葬儀セミナー開催します!その四
こんばんは。
計画してきた勉強会目前にして、台風の日となりそうですね…
今のところ、場所をお借りする予定の会場が閉鎖されない限り、
予定通り実施の予定です
正直、台風襲撃の真っ最中では???と心配なのですが・・・
さらにせっかくいらっしゃる方々への大変申し訳ないお知らせですが、
AIAIひろばには駐車場を設けていません。
きっと雨になるかと思われますが、足元の悪い中、最寄りの駐車場をご利用していただかなくてはなりません。
大変申し訳ございませんが、よろしくお願いします。
計画してきた勉強会目前にして、台風の日となりそうですね…
今のところ、場所をお借りする予定の会場が閉鎖されない限り、
予定通り実施の予定です
正直、台風襲撃の真っ最中では???と心配なのですが・・・
さらにせっかくいらっしゃる方々への大変申し訳ないお知らせですが、
AIAIひろばには駐車場を設けていません。
きっと雨になるかと思われますが、足元の悪い中、最寄りの駐車場をご利用していただかなくてはなりません。
大変申し訳ございませんが、よろしくお願いします。
2012年09月26日
葬儀セミナー開催します!その参
こんばんは
葬儀セミナーについてのお知らせです。
昨日もお知らせしましたが、 お葬式についての勉強会を企画しています。
今週末の9月29日
14時~15時
商店街の中にあります、AIAIひろば
にて行います。
題して
『 お坊さんに聞いてみよう 後悔しないためのお葬式 』
です。
参加費は無料です。
お昼ごはんを食べ終え、
眠たくなる時間帯に勉強会???
と思われるかもしれません…

くつろいでお話を聞いて頂きたいので
わずかではありますが
お茶とおやつをご用意させていただきます。
眠くなったらお茶を飲んでいただいてもいいし、
おやつを食べて頂いてもかまいません。
『 坊さんの話なんて、正座で、きっちりと …

なんて構えずに、
気軽にお話を聞いて頂けたら思います。
よろしくお願いします。
台風が近づいているのが気になりますが…

2012年09月25日
葬儀セミナー開催します!その弐
こんばんは
先日葬儀セミナーについてお知らせしましたが
掲載画像があまりきれいじゃなかったので、
今一度お知らせしたいと思います。
今週末の9月29日(土曜日)
14時~15時
商店街の中にあります、AIAIひろばにて
お葬式についての勉強会を企画しています。
題して
『 お坊さんに聞いてみよう 後悔しないためのお葬式 』
です。
参加費は無料です。
お葬式ってどんなことをするの?
もしも喪主になったら何をするの?
お坊さんってどんなことをするの?
いまさら他人に聞けない、お葬式でのマナーって?
お葬式に参列したことがない方も
お葬式に何度も足を運んだことのある方も
ぜひ聞いて頂いて
何かのお役にたてればと思います。
また、今回の勉強会はあくまでも、お葬式に関する学びの場と考えています。
営業、宗教への勧誘等、一切ございませんので、
お気軽にお立ち寄り頂ければと考えています。
よろしくお願いします。

先日葬儀セミナーについてお知らせしましたが
掲載画像があまりきれいじゃなかったので、
今一度お知らせしたいと思います。
今週末の9月29日(土曜日)
14時~15時
商店街の中にあります、AIAIひろばにて
お葬式についての勉強会を企画しています。
題して
『 お坊さんに聞いてみよう 後悔しないためのお葬式 』
です。
参加費は無料です。
お葬式ってどんなことをするの?
もしも喪主になったら何をするの?
お坊さんってどんなことをするの?
いまさら他人に聞けない、お葬式でのマナーって?
お葬式に参列したことがない方も
お葬式に何度も足を運んだことのある方も
ぜひ聞いて頂いて
何かのお役にたてればと思います。
また、今回の勉強会はあくまでも、お葬式に関する学びの場と考えています。
営業、宗教への勧誘等、一切ございませんので、
お気軽にお立ち寄り頂ければと考えています。
よろしくお願いします。

2012年09月22日
葬儀セミナー開催します!
今月9月29日(土曜日)午後2時から
AiAiひろば3階会議室にて葬儀セミナーを開催いたします。
題して
「お坊さんに聞いてみよう 後悔しないお葬式のために」
です!
仏事に関してはどんな物知りの方でも完璧に知ってる方はいません。それぞれが間違ったまま行っている場合がほとんどです。
大事な作法の事や普段は聞けないお葬式の中身の話を聞いてみませんか?

AiAiひろば3階会議室にて葬儀セミナーを開催いたします。
題して
「お坊さんに聞いてみよう 後悔しないお葬式のために」
です!
仏事に関してはどんな物知りの方でも完璧に知ってる方はいません。それぞれが間違ったまま行っている場合がほとんどです。
大事な作法の事や普段は聞けないお葬式の中身の話を聞いてみませんか?

2012年06月23日
今年はお墓を建ててはいけない年??
多くの方からご質問があります「ユリヅキ」について。
「ヨリヅキ」と言ったりましますね。
奄美ではユリヅキにあたる年はお墓など建てたらいけないとよく聞きますが本当でしょうか?
まずそのことを知るためには太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦について知らなければなりませんが
これがなかなかややこしく短くまとめるのは難しいので省略できる部分は省略します。
太陽暦、これは普段私たちが使ってる暦で世界のほとんどの人が用いてます。
でも奄美では年間行事や日常でも太陰太陽暦を用いる場合が多くあります。
これを旧暦と言います(厳密には旧暦の意味は色んな意味がありますが)
太陰太陽暦 = 旧暦
太陽暦では4年に1度、2月が1日多くなります。
これを閏年(うるうどし)と言いますが
旧暦では1か月を29日もしくは30日として
33か月に1度、同じ月を2度続け1年で13か月ある年があります。
これを閏月(うるうづき)と言います。
太陽暦では4年に1度、
太陰太陽暦(旧暦)では33か月に1度、
季節と暦を一致させるため修正する年があります。
この閏月(うるうづき)の呼び方が変化して「ユリヅキ」となりました。
また同じ月が2度あることから月が寄る(=ヨリヅキ)とも言われるようになりました。
さて
長い前置きになってしまいました。
上記の部分はさらっと読んでください。ここから本題です。
昔、武士の時代
そのお給料は年棒制でした。
しかし旧暦の場合12か月分の給料で13か月生活しなければいけない年がありました。
その閏月=ユリヅキの年は出費を抑え、
新築や結納・結婚などお金の掛かることを避ける習慣があったようです。
もちろんその中にはお墓を建てる事も避けられていたのでしょう。
しかし今私たちは太陽暦を中心に生活しています。
昔の武士のように年棒制でもありませんし、1年を13か月として生活しているわけでもありません。
金銭的、経済的な理由でお墓を建てられないという場合以外は今年ユリヅキであってもお墓を建てて構わないはずです。
逆の事を言えば
ユリヅキにお墓を建てることを避けるのであれば
(お金の掛かる)新築リフォームや婚礼、車の買い替え、子や孫の進学なども避けるべきではないでしょうか?
これは過ぎた冗談ですが、ユリヅキにお墓を建てても何の問題もありません。
一部、不勉強な僧侶がユリヅキの事を助長するような発言がしているみたいですが
モノの根拠自体を知っていれば何も心配いりません。
閏月(ユリヅキ) = お墓を建てたら災いがおこる、祟りがある、世間的に不作法である
と言う事は全くありません。
「ヨリヅキ」と言ったりましますね。
奄美ではユリヅキにあたる年はお墓など建てたらいけないとよく聞きますが本当でしょうか?
まずそのことを知るためには太陽暦・太陰暦・太陰太陽暦について知らなければなりませんが
これがなかなかややこしく短くまとめるのは難しいので省略できる部分は省略します。
太陽暦、これは普段私たちが使ってる暦で世界のほとんどの人が用いてます。
でも奄美では年間行事や日常でも太陰太陽暦を用いる場合が多くあります。
これを旧暦と言います(厳密には旧暦の意味は色んな意味がありますが)
太陰太陽暦 = 旧暦
太陽暦では4年に1度、2月が1日多くなります。
これを閏年(うるうどし)と言いますが
旧暦では1か月を29日もしくは30日として
33か月に1度、同じ月を2度続け1年で13か月ある年があります。
これを閏月(うるうづき)と言います。
太陽暦では4年に1度、
太陰太陽暦(旧暦)では33か月に1度、
季節と暦を一致させるため修正する年があります。
この閏月(うるうづき)の呼び方が変化して「ユリヅキ」となりました。
また同じ月が2度あることから月が寄る(=ヨリヅキ)とも言われるようになりました。
さて

長い前置きになってしまいました。

上記の部分はさらっと読んでください。ここから本題です。
昔、武士の時代
そのお給料は年棒制でした。
しかし旧暦の場合12か月分の給料で13か月生活しなければいけない年がありました。
その閏月=ユリヅキの年は出費を抑え、
新築や結納・結婚などお金の掛かることを避ける習慣があったようです。
もちろんその中にはお墓を建てる事も避けられていたのでしょう。
しかし今私たちは太陽暦を中心に生活しています。
昔の武士のように年棒制でもありませんし、1年を13か月として生活しているわけでもありません。
金銭的、経済的な理由でお墓を建てられないという場合以外は今年ユリヅキであってもお墓を建てて構わないはずです。
逆の事を言えば
ユリヅキにお墓を建てることを避けるのであれば
(お金の掛かる)新築リフォームや婚礼、車の買い替え、子や孫の進学なども避けるべきではないでしょうか?
これは過ぎた冗談ですが、ユリヅキにお墓を建てても何の問題もありません。
一部、不勉強な僧侶がユリヅキの事を助長するような発言がしているみたいですが
モノの根拠自体を知っていれば何も心配いりません。
閏月(ユリヅキ) = お墓を建てたら災いがおこる、祟りがある、世間的に不作法である
と言う事は全くありません。
2012年06月13日
笠利にて仏式での地鎮祭!②
さて前回は堅い内容が続きましたので
こちらでは少し気を緩めていきたいと思います。
でも起工式は(地鎮祭は)家が出来上がる前での式典の中で最も厳粛なものです。
私も緊張いたします
今日は笠利町のK家、あいにくの雨模様でしたが
テントもあったし何よりも法要の間だけピタリと雨が止み
どなたも濡れることがなかったのです。

施主さま、関連業者さま、私もセッティングを始めます。
お供えは簡単なお菓子や果物、お花、蝋燭など必要最低限。
魚とか季節の野菜、季節の果物とかは供えません。

皆さん揃ったところでお経スタート!
↓
神道式とは違って玉串の代わりにお焼香。
↓
散華
↓ ↓
法話
と時間にすると15~20分ぐらい。
この耳慣れない散華(さんげ)ですが
仏典には仏が説法するときは,天から花が降って来ると説かれていおり,
これは天人が仏を讃嘆することをしめしています。
このように仏を讃嘆し供養するために,仏のまわりをめぐりながら,
花を地に散らすのが散華です。
この場合は花の形をした紙製の「華葩(けは)」というものを撒きます。
今回ご依頼があったk家の主人はカメラが趣味で
アマミノクロウサギなどを専門に撮ってらっしゃる。
新築の家はどうも趣味の家、ご主人の隠れ家的なお家になりそうな予感
本当におめでとうございます!
完成を楽しみにしております!

神式では、その土地の神様にお許しを得るのが目的ですが、
仏式では さまざまな人々のお陰をもって
建築の運びとなったご縁をお互いに喜び合い
これを仏さまに感謝するとともに、
自らの責任をもって工事に取り組むことに襟を正し
これから建築する建物が安全にそしてしっかりとしたものにすることを仏前に誓う儀式とも言えるでしょう。
仏式
神式
いずれにしても厳粛で心引き締まる素晴らしい法要だと思います。
どうぞK家の皆様今まで通り仲良くお暮しください!
こちらでは少し気を緩めていきたいと思います。
でも起工式は(地鎮祭は)家が出来上がる前での式典の中で最も厳粛なものです。
私も緊張いたします

今日は笠利町のK家、あいにくの雨模様でしたが
テントもあったし何よりも法要の間だけピタリと雨が止み
どなたも濡れることがなかったのです。

施主さま、関連業者さま、私もセッティングを始めます。
お供えは簡単なお菓子や果物、お花、蝋燭など必要最低限。
魚とか季節の野菜、季節の果物とかは供えません。

皆さん揃ったところでお経スタート!
↓
神道式とは違って玉串の代わりにお焼香。
↓
散華
↓ ↓
法話
と時間にすると15~20分ぐらい。
この耳慣れない散華(さんげ)ですが
仏典には仏が説法するときは,天から花が降って来ると説かれていおり,
これは天人が仏を讃嘆することをしめしています。
このように仏を讃嘆し供養するために,仏のまわりをめぐりながら,
花を地に散らすのが散華です。
この場合は花の形をした紙製の「華葩(けは)」というものを撒きます。
今回ご依頼があったk家の主人はカメラが趣味で
アマミノクロウサギなどを専門に撮ってらっしゃる。
新築の家はどうも趣味の家、ご主人の隠れ家的なお家になりそうな予感
本当におめでとうございます!
完成を楽しみにしております!

神式では、その土地の神様にお許しを得るのが目的ですが、
仏式では さまざまな人々のお陰をもって
建築の運びとなったご縁をお互いに喜び合い
これを仏さまに感謝するとともに、
自らの責任をもって工事に取り組むことに襟を正し
これから建築する建物が安全にそしてしっかりとしたものにすることを仏前に誓う儀式とも言えるでしょう。
仏式
神式
いずれにしても厳粛で心引き締まる素晴らしい法要だと思います。
どうぞK家の皆様今まで通り仲良くお暮しください!
2012年06月13日
笠利にて仏式での地鎮祭!
新しく家を建てるときほとんどの方が行う地鎮祭。
仏式でも地鎮祭はします。
なお浄土真宗では「地鎮祭(じちんさい)」とは言わずに「起工式(きこうしき)」と言います。
呼び方も変わればその意味合いも少し変わってきます。
神道的地鎮祭は本当に浅い知識内でのお話しかできませんが、
大雑把に言いますと
日本の土地は八百万の神が所有しています。
勝手に家を建ててその土地を守っている氏神様の怒りに触れないようにまずお願いをしなければなりません。
いわば土地借用の儀式です。
それに合わせて工事中の安全、工事後の家内繁栄をお願いします。
建てる土地に以前は何があったかわからないので悪い要因を清めてもらう、という意味もあります。
雑な説明ですが大体このような感じで間違いはないと思います。
さて仏式はというと
そのルーツは意外と古く
『日本書紀』によりますと孝徳天皇の時代651年に「安宅神呪経(あんたくじんしゅきょう)」が拝誦されたと言われています。
この「安宅神呪経」とはもちろんお釈迦様の説かれたもので、
起工式深くに関わるものです。
つまり西暦651年には仏式での地鎮祭=起工式が行われていた手掛かりになるのではないでしょうか?
浄土真宗では拝誦しないお経ですので、以前私が大阪は吹田に住んでいた頃に勉強会などで大変お世話になった同じ組内の光徳寺さんのHPでそのお知恵をお借りしたい思います。
要点を抜粋いたします。
簡単に説明しますと「安宅神呪経」にはこういった内容です。
離車という名の長者が、仏さまのもとに赴き、
家に取り憑いた諸神や悪鬼のために災禍があり、
苦しんでいると訴え、これらの災禍を取り除いてほしいとお願いするのです。
仏さまは、その願いを聞き入れ、長者の家に行き
守宅の諸神を呼び、その妄動をいましめ諭されたことがお経の中に説かれています。
短い経典なのですが、お説教を深く味わうと、仏教の基本的な考え方が伝わってきます。
ここで先ず示されるのは、人間のみならず、
土地の神、家の神も迷いの存在である、ということです。
だから、時として人間にも災禍をもたらすのです。
仏さまは、慈悲をもって諸神、悪鬼の迷いを除かれ安穏ならしめることによって、
その家に住む人々も安穏に暮らすことができるのです。
諸神、悪鬼を退治するという、単純な勧善懲悪の話ではありません。
ところが、経典の構成をもう少し詳しく訪ねますと、もっと深い意味のあることが知らされます。
土地の神、家の神の迷いといいましたが、それらは人間自身の迷いでもあります。お釈迦さまは、家に吉凶があるかないか、と問う離車長者に
「諸々の事項はみな衆生の心行に由って生じる」
と説かれます。
つまり色んな災いや不幸は土地の神、家の神の所為ではなく自分の心がおこす妄念が原因だと。
最近、シック・ハウス症候群といって、建築方法や使用する建材が
健康に悪影響を及ぼすことがあると指摘されるようになってきました。
災禍とされたものの中には、そのようなシック・ハウス症候群に類することもあったのでしょう。
それらまで諸神や悪鬼の仕業に仕立て上げてきた歴史がありました。
そこに、人間の迷いを観てとられた仏さまが、
諸神、悪鬼をいましめるという形で、人間の迷いと救いを示されたのです。(つまり方便)
また、家を建てれば、その土地との関わりが生まれます。
その周辺に住む人々や、環境との関係が大切になってきます。
自己中心的な振る舞いは、やがて自身への災禍となって戻ってきます。その時、私たちはお互いに、隣人や周辺環境だけに責任を転嫁しがちです。
しかし、仏教経典が勧善懲悪に終わらないのは、他を廃することによって解決をはかるのではなく、共に歩んでいく道を共に問うのが仏教徒のスタイルだからでしょう。
そして、その人間観、環境観は地域との関係にとどまらず、
やがて自他の隔てのない普遍的な世界観へと導かれていくのです。
これは、逆に、近隣に新しい家や人々を受け入れる側となった場合も同じことだと思います。
<続く>
仏式でも地鎮祭はします。
なお浄土真宗では「地鎮祭(じちんさい)」とは言わずに「起工式(きこうしき)」と言います。
呼び方も変わればその意味合いも少し変わってきます。
神道的地鎮祭は本当に浅い知識内でのお話しかできませんが、
大雑把に言いますと
日本の土地は八百万の神が所有しています。
勝手に家を建ててその土地を守っている氏神様の怒りに触れないようにまずお願いをしなければなりません。
いわば土地借用の儀式です。
それに合わせて工事中の安全、工事後の家内繁栄をお願いします。
建てる土地に以前は何があったかわからないので悪い要因を清めてもらう、という意味もあります。
雑な説明ですが大体このような感じで間違いはないと思います。
さて仏式はというと
そのルーツは意外と古く
『日本書紀』によりますと孝徳天皇の時代651年に「安宅神呪経(あんたくじんしゅきょう)」が拝誦されたと言われています。
この「安宅神呪経」とはもちろんお釈迦様の説かれたもので、
起工式深くに関わるものです。
つまり西暦651年には仏式での地鎮祭=起工式が行われていた手掛かりになるのではないでしょうか?
浄土真宗では拝誦しないお経ですので、以前私が大阪は吹田に住んでいた頃に勉強会などで大変お世話になった同じ組内の光徳寺さんのHPでそのお知恵をお借りしたい思います。
要点を抜粋いたします。
簡単に説明しますと「安宅神呪経」にはこういった内容です。
離車という名の長者が、仏さまのもとに赴き、
家に取り憑いた諸神や悪鬼のために災禍があり、
苦しんでいると訴え、これらの災禍を取り除いてほしいとお願いするのです。
仏さまは、その願いを聞き入れ、長者の家に行き
守宅の諸神を呼び、その妄動をいましめ諭されたことがお経の中に説かれています。
短い経典なのですが、お説教を深く味わうと、仏教の基本的な考え方が伝わってきます。
ここで先ず示されるのは、人間のみならず、
土地の神、家の神も迷いの存在である、ということです。
だから、時として人間にも災禍をもたらすのです。
仏さまは、慈悲をもって諸神、悪鬼の迷いを除かれ安穏ならしめることによって、
その家に住む人々も安穏に暮らすことができるのです。
諸神、悪鬼を退治するという、単純な勧善懲悪の話ではありません。
ところが、経典の構成をもう少し詳しく訪ねますと、もっと深い意味のあることが知らされます。
土地の神、家の神の迷いといいましたが、それらは人間自身の迷いでもあります。お釈迦さまは、家に吉凶があるかないか、と問う離車長者に
「諸々の事項はみな衆生の心行に由って生じる」
と説かれます。
つまり色んな災いや不幸は土地の神、家の神の所為ではなく自分の心がおこす妄念が原因だと。
最近、シック・ハウス症候群といって、建築方法や使用する建材が
健康に悪影響を及ぼすことがあると指摘されるようになってきました。
災禍とされたものの中には、そのようなシック・ハウス症候群に類することもあったのでしょう。
それらまで諸神や悪鬼の仕業に仕立て上げてきた歴史がありました。
そこに、人間の迷いを観てとられた仏さまが、
諸神、悪鬼をいましめるという形で、人間の迷いと救いを示されたのです。(つまり方便)
また、家を建てれば、その土地との関わりが生まれます。
その周辺に住む人々や、環境との関係が大切になってきます。
自己中心的な振る舞いは、やがて自身への災禍となって戻ってきます。その時、私たちはお互いに、隣人や周辺環境だけに責任を転嫁しがちです。
しかし、仏教経典が勧善懲悪に終わらないのは、他を廃することによって解決をはかるのではなく、共に歩んでいく道を共に問うのが仏教徒のスタイルだからでしょう。
そして、その人間観、環境観は地域との関係にとどまらず、
やがて自他の隔てのない普遍的な世界観へと導かれていくのです。
これは、逆に、近隣に新しい家や人々を受け入れる側となった場合も同じことだと思います。
<続く>
2011年01月21日
仏教では何故数え年?
ご懐妊から出産まで一般的には十月十日(とつきとうか)といわれます。その場合の一月は28日間と数えますから
28×10+10=290日
290日!
約1年ですから古の方々は受胎からが命の始まりで出産の時はもうすでに1歳と考えたのでしょうね。
ちなみに「出産」を人の命の始まりと見る西洋ではお母さんのお腹から出てきたときが0歳。
東洋と西洋の命の見方に違いがあって興味深いですね。
生まれてから実際に過ごした年月で表わす年齢の数え方が「満年齢」
つまり通常書類などに記入する年齢は満年齢ですね。
生まれた年を1歳として数え、元旦毎に1歳ずつ加える年齢を「数え年」です。
極端に言えば元旦に生まれた新生児はいきなり2歳!になるわけです。
そういえば
お正月にご婦人方が「正月なんて全然うれしくないわぁ~」
と嘆いていたのも年を1つ取ってしまうからなのかもしれませんね^^
という事で
仏教では歳は数え年で数えます。それは受胎がいのちの始まりだと考えるからです。
ちょっと面倒ですがご自分の数え年も覚えておいても良いと思います。

28×10+10=290日
290日!
約1年ですから古の方々は受胎からが命の始まりで出産の時はもうすでに1歳と考えたのでしょうね。
ちなみに「出産」を人の命の始まりと見る西洋ではお母さんのお腹から出てきたときが0歳。
東洋と西洋の命の見方に違いがあって興味深いですね。
生まれてから実際に過ごした年月で表わす年齢の数え方が「満年齢」
つまり通常書類などに記入する年齢は満年齢ですね。
生まれた年を1歳として数え、元旦毎に1歳ずつ加える年齢を「数え年」です。
極端に言えば元旦に生まれた新生児はいきなり2歳!になるわけです。
そういえば
お正月にご婦人方が「正月なんて全然うれしくないわぁ~」
と嘆いていたのも年を1つ取ってしまうからなのかもしれませんね^^
という事で
仏教では歳は数え年で数えます。それは受胎がいのちの始まりだと考えるからです。
ちょっと面倒ですがご自分の数え年も覚えておいても良いと思います。

2010年12月11日
誰でも悩む焼香作法
「それでは順次、お焼香をお願いいたします」
とアナウンスが流れると今まで何度も経験があるのだがその度に何となく落ち着かず、なるべくなら早く終わって欲しいと思うのがこの「お焼香」ではないでしょうか?
先に作法される方を見ますと大体の方がお香をつまんだその手をちょっと持ち上げるか、額に押し頂くか、それが1回だったり場合によっては3回だったりと様々な作法を見ることが出来ます。それをご自身も真似されるわけですがいかんせん後ろから見ていただけですのではっきりとは分からず自分の番になるとなんとなく動きが固くなってぎこちない作法になりがちではないでしょうか?
はっきりとした作法をお教えすることも無く、その都度皆さんを多少なりとも緊張感を与えていたお焼香の作法ですが
これらを正しく伝えてこなかった私たち僧侶の全責任です!
本当にスミマセン。これからは作法面のこともドンドン書いて行きたいと思います。
さて正しい作法ですが、立って焼香する立礼焼香と座って焼香する座礼焼香の2通りがありますが、通夜葬儀などはほとんどが立礼なので実用性の高い立礼の作法を書かさせていただきます。
1.ご本尊や焼香台の2~3歩手前で軽く頭を下げる。
2.2~3歩前に進み、香盒(こうごう、お香の入れ物)中のお香を親指・人差し指・中指でつまむ。
3.つまんだお香を香炉に(正しくは香炉の中の炭のうえに置くように)入れる。
※その際つまんだお香を額に押し頂いたり持ち上げたりしない!
※焼香の前に合掌礼拝はしない。
4.ご本尊に向かって合掌。
5.礼拝
6.また2~3歩後ろに下がり軽く頭を下げ速やかに元の席に着く。

これが浄土真宗本願寺派における正しい作法です。
また1と6の後にお悔やみの気持ちを込めて喪主様・遺族の方々に頭を下げ一礼するのも一般的なマナーからすればした方が良いのかもしれませんね。
間違えがちな所を言うと
・2~3歩前で立ち止まらず一礼していない。
・焼香そのものの作法や回数が違う。(額に香を頂いたり、持ち上げたりしなくても良い)
・合掌礼拝の時、拍手(かしわで)打っている方がいる。←これは神道系の作法ですね。
ちなみに奄美の寺院は私が知っている限りでは浄土真宗の本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)、真言宗だけしかありません。仏教系の新興宗教はまだまだありますがそちらの宗旨の作法は明るくないので割愛させていただきますが、奄美にある各宗派の焼香作法はほとんど同じなんです。
ですのでこの上記の作法を覚えられたらまず作法で間違えるという事はありません。
厳密に言えば大谷派(東本願寺)は焼香の回数が2回に変わるだけでそれ以外は同じ、真言宗においては浄土真宗本願寺派(西本願寺)とまったく同じ作法(私の記憶違いか真言は確か3回焼香だったような気がしたが、でも真言の僧侶に直接お聞きしたので間違いないと思います)
ですから
この
お香をつまんだらそのまま一回だけ焼香→合掌礼拝
の作法を是非覚えられてください。
これは通夜・葬儀・法事・あらゆる仏事で共通の作法です。
それよりなによりも
今まで前の方の焼香作法を気にしながら焼香していたときよりも
幾分堂々と作法できるようになるでしょう!
そしてその余裕が故人もしくは仏様の事を
想い偲ぶ時間を与えてくれるでしょう。
どうぞ作法は多少間違っても結構なので堂々とゆっくりされてください(そのほうが案外と見た目は良いものです)
とアナウンスが流れると今まで何度も経験があるのだがその度に何となく落ち着かず、なるべくなら早く終わって欲しいと思うのがこの「お焼香」ではないでしょうか?
先に作法される方を見ますと大体の方がお香をつまんだその手をちょっと持ち上げるか、額に押し頂くか、それが1回だったり場合によっては3回だったりと様々な作法を見ることが出来ます。それをご自身も真似されるわけですがいかんせん後ろから見ていただけですのではっきりとは分からず自分の番になるとなんとなく動きが固くなってぎこちない作法になりがちではないでしょうか?
はっきりとした作法をお教えすることも無く、その都度皆さんを多少なりとも緊張感を与えていたお焼香の作法ですが
これらを正しく伝えてこなかった私たち僧侶の全責任です!
本当にスミマセン。これからは作法面のこともドンドン書いて行きたいと思います。
さて正しい作法ですが、立って焼香する立礼焼香と座って焼香する座礼焼香の2通りがありますが、通夜葬儀などはほとんどが立礼なので実用性の高い立礼の作法を書かさせていただきます。
1.ご本尊や焼香台の2~3歩手前で軽く頭を下げる。
2.2~3歩前に進み、香盒(こうごう、お香の入れ物)中のお香を親指・人差し指・中指でつまむ。
3.つまんだお香を香炉に(正しくは香炉の中の炭のうえに置くように)入れる。
※その際つまんだお香を額に押し頂いたり持ち上げたりしない!
※焼香の前に合掌礼拝はしない。
4.ご本尊に向かって合掌。
5.礼拝
6.また2~3歩後ろに下がり軽く頭を下げ速やかに元の席に着く。

これが浄土真宗本願寺派における正しい作法です。
また1と6の後にお悔やみの気持ちを込めて喪主様・遺族の方々に頭を下げ一礼するのも一般的なマナーからすればした方が良いのかもしれませんね。
間違えがちな所を言うと
・2~3歩前で立ち止まらず一礼していない。
・焼香そのものの作法や回数が違う。(額に香を頂いたり、持ち上げたりしなくても良い)
・合掌礼拝の時、拍手(かしわで)打っている方がいる。←これは神道系の作法ですね。
ちなみに奄美の寺院は私が知っている限りでは浄土真宗の本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)、真言宗だけしかありません。仏教系の新興宗教はまだまだありますがそちらの宗旨の作法は明るくないので割愛させていただきますが、奄美にある各宗派の焼香作法はほとんど同じなんです。
ですのでこの上記の作法を覚えられたらまず作法で間違えるという事はありません。
厳密に言えば大谷派(東本願寺)は焼香の回数が2回に変わるだけでそれ以外は同じ、真言宗においては浄土真宗本願寺派(西本願寺)とまったく同じ作法(私の記憶違いか真言は確か3回焼香だったような気がしたが、でも真言の僧侶に直接お聞きしたので間違いないと思います)
ですから
この
お香をつまんだらそのまま一回だけ焼香→合掌礼拝
の作法を是非覚えられてください。
これは通夜・葬儀・法事・あらゆる仏事で共通の作法です。
それよりなによりも
今まで前の方の焼香作法を気にしながら焼香していたときよりも
幾分堂々と作法できるようになるでしょう!
そしてその余裕が故人もしくは仏様の事を
想い偲ぶ時間を与えてくれるでしょう。
どうぞ作法は多少間違っても結構なので堂々とゆっくりされてください(そのほうが案外と見た目は良いものです)