2012年06月15日
「宗教」について④
もう一つの世界宗教とは
キリスト教、
イスラム教、
そして仏教などです。
特徴としては限られた国家や地域あるいは民族などに限定されず信奉され
世界中に信仰する人がいて政治的、社会的、文化的に多くの影響を与えています。
キリスト教えはユダヤ人には広まらず周辺のヨーロッパに広がってますね。
イスラム教の開祖ムハンマドの活動地域はアラビア半島と言われてますが
現在はアラブ全域から北アフリカ、中央アジアから東南アジアに広がっています。
インド発祥の仏教もアジア各国に広まりましたが
現在ではインド国内でいえばヒンドゥー教の方が信者数は多いようです。
この普遍的世界宗教に共通するもう一つの特徴は
イエスキリストやムハンマド、お釈迦様など開祖や預言者がいることと
それまで多くの人が囚われていた神話や呪術、制度などの束縛から解放された教えだと言う事です。
たとえば現代の日本人には想像も出来ないほど厳しかったインドのカースト制度。
仕事や住む場所など決められどんなに本人が努力しても何も変わらない時代に
お釈迦様は人の平等を説きました。
イエスキリストは当時、規則や戒律ばかりを重視するユダヤ教に異を唱えるあたりが
内面重視の新しい教えであったに違いありません。
ムハンマドは当時のアラビア半島で信仰されていた多神教を否定し、
唯一の神の前における万人の平等を説きました。
つまりこの3つの宗教は
差別的、儀礼的でああったそれまでの社会通念にたいしてのアンチテーゼの意味を持ちます。
だからこそ世界中の多くの弱く貧しい人たちの支持を得て、これほどまでに普及したと考えられます。
さて次回は各宗教を掘り下げて書いていきたいと思います。
<続く>
キリスト教、
イスラム教、
そして仏教などです。
特徴としては限られた国家や地域あるいは民族などに限定されず信奉され
世界中に信仰する人がいて政治的、社会的、文化的に多くの影響を与えています。
キリスト教えはユダヤ人には広まらず周辺のヨーロッパに広がってますね。
イスラム教の開祖ムハンマドの活動地域はアラビア半島と言われてますが
現在はアラブ全域から北アフリカ、中央アジアから東南アジアに広がっています。
インド発祥の仏教もアジア各国に広まりましたが
現在ではインド国内でいえばヒンドゥー教の方が信者数は多いようです。
この普遍的世界宗教に共通するもう一つの特徴は
イエスキリストやムハンマド、お釈迦様など開祖や預言者がいることと
それまで多くの人が囚われていた神話や呪術、制度などの束縛から解放された教えだと言う事です。
たとえば現代の日本人には想像も出来ないほど厳しかったインドのカースト制度。
仕事や住む場所など決められどんなに本人が努力しても何も変わらない時代に
お釈迦様は人の平等を説きました。
イエスキリストは当時、規則や戒律ばかりを重視するユダヤ教に異を唱えるあたりが
内面重視の新しい教えであったに違いありません。
ムハンマドは当時のアラビア半島で信仰されていた多神教を否定し、
唯一の神の前における万人の平等を説きました。
つまりこの3つの宗教は
差別的、儀礼的でああったそれまでの社会通念にたいしてのアンチテーゼの意味を持ちます。
だからこそ世界中の多くの弱く貧しい人たちの支持を得て、これほどまでに普及したと考えられます。
さて次回は各宗教を掘り下げて書いていきたいと思います。
<続く>
2012年02月19日
「宗教」について③
宗教を大きく二分すると民族宗教と世界宗教(普遍的宗教)に分けられます。
民族宗教とは特定の国家や民族に限定されながら信仰されている宗教で、ヒンドゥー教やユダヤ教、儒教や神道などが代表として挙げられます。
ヒンドゥー教はインド・ネパールで信奉され他の地域には広がっていません。インド系民族限定と言ってもいいと思います。
またユダヤ教は20世紀半ばになるまで自分たちの国を持てなかったユダヤ人の信仰と同時に社会を形作る結びつき(民族の紐帯)でもあります。ユダヤ教を信じる人たちは「ユダヤ教の神であるヤハウェに戒律を守ることを誓った者だけが救われる」と信じています。つまり自分たちは選ばれた民であるという選民思想は他の宗教を信じる人や民族を自分たちより劣っていると規定してしまうことが多々あります。
そういう歴史が影響してユダヤ教は他の民族に広がりません。またユダヤ教自身も異教徒がユダヤ教に改宗することにさほど積極的ではありません。
神道も古来から日本人の生活と融合し宗教であると同時に日本の伝統的な文化や規範などの側面も持っています。だからこそこれもまた日本国内限定です。
紀元前6世紀ごろ生まれた孔子を始祖とする儒教は、人は死ぬと空を漂う「魂」と地中をもぐる「魄(はく)」に分かれると考えました。儒教において死んだ人の魂を慰める先祖供養はとても重要です。また地中にある魄のために墓参りも怠ってはいけないと考えます。先祖供養を滞りなく続けるためには家督を継ぐ男系の子孫を絶やさないようにすることも重視します。とここまでお読みいただいて気づかれた方も多いでしょうがここ奄美では儒教の影響も大きいのです。
先祖供養、男系の子孫繁栄、墓参りなど今知っている日本の仏教と重複しているような気がしますが、
実際のところ仏教本来は墓参りや先祖供養の思想はもともとありません。インドから仏教が伝来するまでに中国の儒教の影響を受けながら日本に渡ってきたことに由来することが大きいと思います。
言わずもがなですが仏教には先祖供養と墓参りの思想がないといってもそれらを軽視しているわけではありません。
続きは世界宗教・普遍的宗教について書いていきたいと思います。
<続く>
民族宗教とは特定の国家や民族に限定されながら信仰されている宗教で、ヒンドゥー教やユダヤ教、儒教や神道などが代表として挙げられます。
ヒンドゥー教はインド・ネパールで信奉され他の地域には広がっていません。インド系民族限定と言ってもいいと思います。
またユダヤ教は20世紀半ばになるまで自分たちの国を持てなかったユダヤ人の信仰と同時に社会を形作る結びつき(民族の紐帯)でもあります。ユダヤ教を信じる人たちは「ユダヤ教の神であるヤハウェに戒律を守ることを誓った者だけが救われる」と信じています。つまり自分たちは選ばれた民であるという選民思想は他の宗教を信じる人や民族を自分たちより劣っていると規定してしまうことが多々あります。
そういう歴史が影響してユダヤ教は他の民族に広がりません。またユダヤ教自身も異教徒がユダヤ教に改宗することにさほど積極的ではありません。
神道も古来から日本人の生活と融合し宗教であると同時に日本の伝統的な文化や規範などの側面も持っています。だからこそこれもまた日本国内限定です。
紀元前6世紀ごろ生まれた孔子を始祖とする儒教は、人は死ぬと空を漂う「魂」と地中をもぐる「魄(はく)」に分かれると考えました。儒教において死んだ人の魂を慰める先祖供養はとても重要です。また地中にある魄のために墓参りも怠ってはいけないと考えます。先祖供養を滞りなく続けるためには家督を継ぐ男系の子孫を絶やさないようにすることも重視します。とここまでお読みいただいて気づかれた方も多いでしょうがここ奄美では儒教の影響も大きいのです。
先祖供養、男系の子孫繁栄、墓参りなど今知っている日本の仏教と重複しているような気がしますが、
実際のところ仏教本来は墓参りや先祖供養の思想はもともとありません。インドから仏教が伝来するまでに中国の儒教の影響を受けながら日本に渡ってきたことに由来することが大きいと思います。
言わずもがなですが仏教には先祖供養と墓参りの思想がないといってもそれらを軽視しているわけではありません。
続きは世界宗教・普遍的宗教について書いていきたいと思います。
<続く>
2011年12月08日
「宗教」について②
狩猟や農耕を中心とする地域では今でもアニミズムは色濃く残っています。
発展途上の地域で信仰されてるアニミズムは程度の低い信仰と思われがちですが、実はそうではありません。(その辺は後に書くとします)
日本の伝統的信仰である神道(しんとう)などはアニミズムの発展形の多神教と呼ばれるもので、
他にもゼウス・アポロン・アテナで有名なギリシャ神話や
ガネーシャ・シヴァなどで有名なヒンドゥー教もアニミズムの発展形の多神教信仰です。
また多神教やアニミズムには共通点がいくつかあります。
それは神様の数が多いということ。また拠り所とする経典がないので教義の内容がいまひとつハッキリしないこと、そして教祖がいないので言い伝えや神話など民間伝承で今日まで伝えられてきたことなどです。
「八百万の神」と言われるように日本の神社には今もなお色んな神様が祀られているしヒンドゥー教もキリスト教・イスラム教に続き世界で3番目に信仰する人が多い、つまり信者数が多い宗教です。
しかしその一方でギリシャ神話を信仰する人はほとんどいません。
何故ならアニミズムや多神教の多くはそのあとに生まれたキリスト教・イスラム教など唯一絶対神のみを崇拝する一神教に取り込まれたり追い払われたりしてきたからです。
つまりアニミズムや多神教は色んな宗教に良い部分は吸収され都合の悪い部分は駆逐されてきたという背景があります。
先ほどアニミズムは決して程度の低い信仰ではないと言いましたが、一神教の圏内ではやはり程度の低い信仰だと思われています。
が、しかしその一神教を信仰する人たちの間でもアニミズムが見直されて来ています。
自然とのつながりを回復させてくれる癒しの思想として、
またフロンティアスピリッツの末見えてきた自然に感応しない生き方の反省として
アニミズムって言うのも有りなんじゃないか?と思われてきました。
自然と共存共鳴してきた日本人の、奄美の人たちの持っているアニミズム的価値観は今まさに見直されてるのです。

<続く>
発展途上の地域で信仰されてるアニミズムは程度の低い信仰と思われがちですが、実はそうではありません。(その辺は後に書くとします)
日本の伝統的信仰である神道(しんとう)などはアニミズムの発展形の多神教と呼ばれるもので、
他にもゼウス・アポロン・アテナで有名なギリシャ神話や
ガネーシャ・シヴァなどで有名なヒンドゥー教もアニミズムの発展形の多神教信仰です。
また多神教やアニミズムには共通点がいくつかあります。
それは神様の数が多いということ。また拠り所とする経典がないので教義の内容がいまひとつハッキリしないこと、そして教祖がいないので言い伝えや神話など民間伝承で今日まで伝えられてきたことなどです。
「八百万の神」と言われるように日本の神社には今もなお色んな神様が祀られているしヒンドゥー教もキリスト教・イスラム教に続き世界で3番目に信仰する人が多い、つまり信者数が多い宗教です。
しかしその一方でギリシャ神話を信仰する人はほとんどいません。
何故ならアニミズムや多神教の多くはそのあとに生まれたキリスト教・イスラム教など唯一絶対神のみを崇拝する一神教に取り込まれたり追い払われたりしてきたからです。
つまりアニミズムや多神教は色んな宗教に良い部分は吸収され都合の悪い部分は駆逐されてきたという背景があります。
先ほどアニミズムは決して程度の低い信仰ではないと言いましたが、一神教の圏内ではやはり程度の低い信仰だと思われています。
が、しかしその一神教を信仰する人たちの間でもアニミズムが見直されて来ています。
自然とのつながりを回復させてくれる癒しの思想として、
またフロンティアスピリッツの末見えてきた自然に感応しない生き方の反省として
アニミズムって言うのも有りなんじゃないか?と思われてきました。
自然と共存共鳴してきた日本人の、奄美の人たちの持っているアニミズム的価値観は今まさに見直されてるのです。

<続く>
2011年12月03日
膨大なテーマですが「宗教」について①
宗教はいつごろ生まれたものか?
それは人間が生まれてからだろうが実のところ分からない。
それは人類がいつごろ進化の過程で「人」となったのかハッキリしないから。
でも人類と共に宗教は生まれ育ってきたことは間違いないでしょう。
木の上で生活をしていた人類の先祖が地上に降り、木の実などからより大型の動物を狩猟によって食料にするようになった。
この過程こそが霊長類の一種でしかなかった人類の祖先がホモサピエンスへと変わっていった段階でもあったでしょう。
10万年前ネアンデルタール人が死んだ同族の者たちを埋葬していたことは明らかになっている。彼らは遺体を土に埋め想の上に石を乗せた。
どんな生き物も死んでしまう。それは自分も自分が愛した人たちも例外ではなく死んで行く。その現実を知ったとき人類は自分自身ではどんな抵抗をしてみせても無意味な力がこの世界に存在していることに気付いた。でも愛した人たちがこの世から完全に消え去ってしまうとは思いたくない。どこかで見守ってくれてると思いたい。
そこで死んだ人間の霊魂が、草や木や山、川、土地などなど森羅万象全てに宿るという考え方つまりアニミズムが生まれた。
前にも書いたが映画「アバター」や宮崎駿監督などは基本アニミズム。
アニミズムと言う言葉は、霊魂や精霊を意味する「アニマ」と言うラテン語から来ている。あの「アニメ」の語源である。
(続く)
それは人間が生まれてからだろうが実のところ分からない。
それは人類がいつごろ進化の過程で「人」となったのかハッキリしないから。
でも人類と共に宗教は生まれ育ってきたことは間違いないでしょう。
木の上で生活をしていた人類の先祖が地上に降り、木の実などからより大型の動物を狩猟によって食料にするようになった。
この過程こそが霊長類の一種でしかなかった人類の祖先がホモサピエンスへと変わっていった段階でもあったでしょう。
10万年前ネアンデルタール人が死んだ同族の者たちを埋葬していたことは明らかになっている。彼らは遺体を土に埋め想の上に石を乗せた。
どんな生き物も死んでしまう。それは自分も自分が愛した人たちも例外ではなく死んで行く。その現実を知ったとき人類は自分自身ではどんな抵抗をしてみせても無意味な力がこの世界に存在していることに気付いた。でも愛した人たちがこの世から完全に消え去ってしまうとは思いたくない。どこかで見守ってくれてると思いたい。
そこで死んだ人間の霊魂が、草や木や山、川、土地などなど森羅万象全てに宿るという考え方つまりアニミズムが生まれた。
前にも書いたが映画「アバター」や宮崎駿監督などは基本アニミズム。
アニミズムと言う言葉は、霊魂や精霊を意味する「アニマ」と言うラテン語から来ている。あの「アニメ」の語源である。
(続く)