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大島紬泥染め職人の家に生まれたごく普通の男がひょんなことからお坊さんに!? 全国的に廃寺傾向の中、奄美生まれ紬屋の息子が新寺建立を夢見て地域で奮闘中! 日常何気なく感じた事から仏教学まで分かりやすく書き綴っていきたいと思います。

2016年04月23日

慈悲始終なし

平成28年熊本地震により被災された皆さまに
衷心よりお見舞い申し上げます




毎日 
熊本 大分の地震速報がながれる度
現地の方々 
現地に家族やお知り合いを持つ方々の気持ちを思うと
胸が張り裂けそうになります

私も妹が大分に住んでおり
やっと連絡が取れたときの安堵感は
言葉には表せないものがありました

妹には地震による直接的な大きな被害等はなかったようですが
スーパーやコンビニは商品がなく
いつ商品が入荷するかわからない様子から
ちょっとしたパニックになっていると
のことでした


そんな中

勉強のために島を離れて
熊本の地で被災した学生さんたちが
募金活動を始めていること
ご存じですか?

自分たちも被災したにも関わらず
自ら『今できることを考え 行動』してくれている
姿にとても感動しました

彼らの活動に賛同いただける方
今日23日土曜
11時から
ビックツーにて
募金活動にご協力よろしくお願いします









今から730年ほど前に書かれた『歎異抄』

この書物は浄土真宗開祖の親鸞聖人の言葉を綴り
その解釈や異端説への批判をのべるものとして
まとめられた小さな書物です

この『歎異抄』第四条に

『今生に、
   いかにいとほし不便とおもふとも、
   存知のごとくたすけがたければ、
   この慈悲始終なし。』
 (この世に生きている間は、
 どれほどかわいそうだ、
 気の毒だと思っても、
 思いのままに救うことはできないのだから、
 このような慈悲は完全なものではありません。)

とあります。
この文章の解釈として
釈徹宗先生が以下のように解釈されています。

『親鸞は世間で善い行いとされる社会奉仕などを
否定していたわけではないと思います。
しかし、仏道という点から言うならば、
「それは不完全なものと認識せよ」
と言っているのです。
自分の都合が入った善であるという意識なしに、
つい善いことをしている気分になって満足するなというのです。
  ( 中略)
自分は正しい、と思った瞬間に見えなくなるものがあります。
そして次第に偏っていくのが私たちなのです。
慈悲の活動を目指しても、いつの間にか偏ってしまう。
自分の都合を振り回してしまう。
その自覚をもって活動し続ける。
そして、究極の慈悲である
「仏と成って人々を救う」を目指すのです。』




『究極の慈悲を目指す』

口にするのは簡単ですが
実践することは並大抵のことではありません

ですが
今 頑張ってくれている
学生さんたちのような一歩は
『究極の慈悲を目指す』とても大きな一歩だと
わたしは思います


わたしにできること
わたしでもできること
わたしにしかできないこと
小さなことでも
ちりも積もれば必ず山となります
  


Posted by ジャクシン at 00:20Comments(0)etc…