2013年03月22日
友引の日にお葬式してもいいの?
もう葬儀で何回おしゃべりしたしただろうか
「友引」
について書き記しておきたいと思います。
『友引の日にお葬式をするなんて』
数日前に無事お葬式を済ませたAさん。
Aさんは50代男性で、お送りした方は(亡くなった方は)Aさんのお父さん。
初めての喪主を務め、少し緊張と戸惑いもありながら何とか式を終えました。
良いお葬式だったとみんなも言ってくれたので安心していたAさん。
しかしある日、一段落しつつも雑事に追われているAさんのもとへ親戚の伯母さんがカンカンに怒りながら訪ねてこられました。
おそるおそる訳を尋ねてみると、どうも伯母さんはお葬式の日がちょうど友引の日だったのを後々知り、そのことについて怒っている様子でした。
「あんた、大変なことしてくれたな」
「あんたは若いから知らんかもしれんけど、友引の日は“友を引く”っち言って死んだ人が寂しがって身近な者をあの世に引っ張っていってしまうんど」
「家族や親せきに何かあったら責任とれるのか!?」
Aさんは
『 友引 = 迷信 』
と思っていたので、そんなことは全く気にせずお葬式の日程を進めていたのですが
突然のクレームに何も言い返せず黙って伯母の怒りが治まるのを静かに待つばかりでした。

『六曜』
友引は六曜(ろくよう)と言う暦の中のひとつで六曜とは戦やギャンブルの吉凶を占うために用いた中国の民間信仰です。
引き分けもしくは物言に勝負のつかない日、良くも悪くもない日とされておりました。
もともとは「共引(ともびき)」と書いてあるのを日本に伝えられた時に「友引」の字に変えられたようです。
日本人の適当な解釈により意味も用いられる漢字も変えられてしまったのです。
(ちなみに「仏滅」は仏様が滅すると書くので仏教的な言葉かと思われますが全く関係ありません。本当は「物滅」と書き同じく現在では元の意味と漢字が間違って使われています)
『友引をそこまで気にするのなら』
私には日頃から疑問に思っていることがあります。
ある程度でしたら日を動かせる葬式の日にちが友引かどうか気にする前に
何故、亡くなった日が友引かどうか気にしないんでしょうか?
もし亡くなった方が本当に身近な者を連れて行ってしまうとしたら亡くなった日ではないのか?何故1~3日経ってからなの??
さらに言えば日の良し悪しが気になるのでしたらご自分が、またはお子さんやお孫さんが生まれた日が良い日か悪い日か気になさらないのでしょうか?
言っても始まらない、言ってしまったら身もふたもない都合の悪いことには触れない事にしているようにさえ見えます。
『選べる日だからこそ』
生まれる日や亡くなる日は選べないけどお葬式の日は選べるからこそ世間的に悪い日と思われてる日にわざわざ式を挙げる必要はないじゃないか、みんなが安心できるじゃないか、と言われる方もいるかも知れません。
お釈迦様の説かれた教えの目的を「抜苦与楽(苦しみを抜き安楽を与える、ばっくよらく)」と言い表します。
本当の苦しみとは何か?本当の楽とは何か?
それは迷信を真実であるかのように信じ、一時的な楽を求めてさらにその迷信に惑わされていく姿こそが本当の苦しみであると仏教では考えます。
『たかが迷信』
例えば血液型占いと言うものがあります。
これには科学的根拠がないと言われてますが、コミュニケーションツールや飲み会での盛り上がるネタとしてなら問題はなさそうです。
これも迷信のひとつでしょうが時と場合によっては笑い事ではない迷信もあるのです。
先ほど皮肉やジョークを込めて、
何故お葬式の日が友引かどうか気にする前に亡くなった日が友引かどうか気にしないのか、
何故子供が生まれる日の良し悪しを気にしないのか、と書きました。
でも本当に子供の出生を気にする迷信が過去にあったのです。
『丙午』
それを丙午(ひのえうま)と言います。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ひのえうま生まれの女性は気性が荒く夫を殺すとか
夫を殺すまででなくてもひのえうま生まれの女性と一緒になったら不幸になる、みたいな迷信がありました。
実際、ひのえうまの年の出生率はその前後の年のそれより明らかに低いのです。
と言う事はあまり考えたくないのですが、子供の将来を杞憂して中絶などにより生まれてくるはずだったいのちも絶たれてしまった例もあるということでしょう。
60年に1回あるひのえうまの年、
その出生率も近代なればなるほど低下していってるんです。
つまり昔の人より現代の人の方が迷信にとらわれていると言う事ですかね??
楽しい迷信もあればこのようにいのちに関わる迷信もあるのです。どうぞ惑わされないようにしてください。
『最後に』
お読みくださってありがとうございます。
いつものようにダラダラと長くなってしまいました。
2回に分けて書いた方が良かったのかも知れませんが
出来たら一気に読んでいただきたかったのでこのように長文になってしまいました。
「友引」については
元は中国の古い暦の読み方で→
ギャンブル用語や戦の吉凶日を占うために用いられ→
意味は「引き分け」「勝敗がつかない日」→
日本に伝わり「友人を引く」といった読みと意味に故意に歪められ→
そこから「友引信仰」らしきものが出来上がって現在に至る。
この根拠さえ知っておけば大丈夫です。
友引にお葬式をしたらいけないという方は大体
「昔の人がそう言い伝えている」とか
「身近な者を連れて行ってしまうらしい」
「何となく嫌だ」
とか根拠としては曖昧なことばかりです。
根拠をはっきりさせてそのうえでどう判断されるかはご覧の方に委ねます。
また全ての国語辞典などでは俗信と定め、伝統的な神社やお寺では六曜を用いることを迷信として用いるのを禁じています。
「友引」
について書き記しておきたいと思います。

『友引の日にお葬式をするなんて』
数日前に無事お葬式を済ませたAさん。
Aさんは50代男性で、お送りした方は(亡くなった方は)Aさんのお父さん。
初めての喪主を務め、少し緊張と戸惑いもありながら何とか式を終えました。
良いお葬式だったとみんなも言ってくれたので安心していたAさん。
しかしある日、一段落しつつも雑事に追われているAさんのもとへ親戚の伯母さんがカンカンに怒りながら訪ねてこられました。
おそるおそる訳を尋ねてみると、どうも伯母さんはお葬式の日がちょうど友引の日だったのを後々知り、そのことについて怒っている様子でした。
「あんた、大変なことしてくれたな」
「あんたは若いから知らんかもしれんけど、友引の日は“友を引く”っち言って死んだ人が寂しがって身近な者をあの世に引っ張っていってしまうんど」
「家族や親せきに何かあったら責任とれるのか!?」
Aさんは
『 友引 = 迷信 』
と思っていたので、そんなことは全く気にせずお葬式の日程を進めていたのですが
突然のクレームに何も言い返せず黙って伯母の怒りが治まるのを静かに待つばかりでした。

『六曜』
友引は六曜(ろくよう)と言う暦の中のひとつで六曜とは戦やギャンブルの吉凶を占うために用いた中国の民間信仰です。
引き分けもしくは物言に勝負のつかない日、良くも悪くもない日とされておりました。
もともとは「共引(ともびき)」と書いてあるのを日本に伝えられた時に「友引」の字に変えられたようです。
日本人の適当な解釈により意味も用いられる漢字も変えられてしまったのです。
(ちなみに「仏滅」は仏様が滅すると書くので仏教的な言葉かと思われますが全く関係ありません。本当は「物滅」と書き同じく現在では元の意味と漢字が間違って使われています)
『友引をそこまで気にするのなら』
私には日頃から疑問に思っていることがあります。
ある程度でしたら日を動かせる葬式の日にちが友引かどうか気にする前に
何故、亡くなった日が友引かどうか気にしないんでしょうか?
もし亡くなった方が本当に身近な者を連れて行ってしまうとしたら亡くなった日ではないのか?何故1~3日経ってからなの??
さらに言えば日の良し悪しが気になるのでしたらご自分が、またはお子さんやお孫さんが生まれた日が良い日か悪い日か気になさらないのでしょうか?
言っても始まらない、言ってしまったら身もふたもない都合の悪いことには触れない事にしているようにさえ見えます。
『選べる日だからこそ』
生まれる日や亡くなる日は選べないけどお葬式の日は選べるからこそ世間的に悪い日と思われてる日にわざわざ式を挙げる必要はないじゃないか、みんなが安心できるじゃないか、と言われる方もいるかも知れません。
お釈迦様の説かれた教えの目的を「抜苦与楽(苦しみを抜き安楽を与える、ばっくよらく)」と言い表します。
本当の苦しみとは何か?本当の楽とは何か?
それは迷信を真実であるかのように信じ、一時的な楽を求めてさらにその迷信に惑わされていく姿こそが本当の苦しみであると仏教では考えます。
『たかが迷信』
例えば血液型占いと言うものがあります。
これには科学的根拠がないと言われてますが、コミュニケーションツールや飲み会での盛り上がるネタとしてなら問題はなさそうです。
これも迷信のひとつでしょうが時と場合によっては笑い事ではない迷信もあるのです。
先ほど皮肉やジョークを込めて、
何故お葬式の日が友引かどうか気にする前に亡くなった日が友引かどうか気にしないのか、
何故子供が生まれる日の良し悪しを気にしないのか、と書きました。
でも本当に子供の出生を気にする迷信が過去にあったのです。
『丙午』
それを丙午(ひのえうま)と言います。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ひのえうま生まれの女性は気性が荒く夫を殺すとか
夫を殺すまででなくてもひのえうま生まれの女性と一緒になったら不幸になる、みたいな迷信がありました。
実際、ひのえうまの年の出生率はその前後の年のそれより明らかに低いのです。
と言う事はあまり考えたくないのですが、子供の将来を杞憂して中絶などにより生まれてくるはずだったいのちも絶たれてしまった例もあるということでしょう。
60年に1回あるひのえうまの年、
その出生率も近代なればなるほど低下していってるんです。
つまり昔の人より現代の人の方が迷信にとらわれていると言う事ですかね??
楽しい迷信もあればこのようにいのちに関わる迷信もあるのです。どうぞ惑わされないようにしてください。
『最後に』
お読みくださってありがとうございます。
いつものようにダラダラと長くなってしまいました。
2回に分けて書いた方が良かったのかも知れませんが
出来たら一気に読んでいただきたかったのでこのように長文になってしまいました。
「友引」については
元は中国の古い暦の読み方で→
ギャンブル用語や戦の吉凶日を占うために用いられ→
意味は「引き分け」「勝敗がつかない日」→
日本に伝わり「友人を引く」といった読みと意味に故意に歪められ→
そこから「友引信仰」らしきものが出来上がって現在に至る。
この根拠さえ知っておけば大丈夫です。
友引にお葬式をしたらいけないという方は大体
「昔の人がそう言い伝えている」とか
「身近な者を連れて行ってしまうらしい」
「何となく嫌だ」
とか根拠としては曖昧なことばかりです。
根拠をはっきりさせてそのうえでどう判断されるかはご覧の方に委ねます。
また全ての国語辞典などでは俗信と定め、伝統的な神社やお寺では六曜を用いることを迷信として用いるのを禁じています。