2012年02月19日
「宗教」について③
宗教を大きく二分すると民族宗教と世界宗教(普遍的宗教)に分けられます。
民族宗教とは特定の国家や民族に限定されながら信仰されている宗教で、ヒンドゥー教やユダヤ教、儒教や神道などが代表として挙げられます。
ヒンドゥー教はインド・ネパールで信奉され他の地域には広がっていません。インド系民族限定と言ってもいいと思います。
またユダヤ教は20世紀半ばになるまで自分たちの国を持てなかったユダヤ人の信仰と同時に社会を形作る結びつき(民族の紐帯)でもあります。ユダヤ教を信じる人たちは「ユダヤ教の神であるヤハウェに戒律を守ることを誓った者だけが救われる」と信じています。つまり自分たちは選ばれた民であるという選民思想は他の宗教を信じる人や民族を自分たちより劣っていると規定してしまうことが多々あります。
そういう歴史が影響してユダヤ教は他の民族に広がりません。またユダヤ教自身も異教徒がユダヤ教に改宗することにさほど積極的ではありません。
神道も古来から日本人の生活と融合し宗教であると同時に日本の伝統的な文化や規範などの側面も持っています。だからこそこれもまた日本国内限定です。
紀元前6世紀ごろ生まれた孔子を始祖とする儒教は、人は死ぬと空を漂う「魂」と地中をもぐる「魄(はく)」に分かれると考えました。儒教において死んだ人の魂を慰める先祖供養はとても重要です。また地中にある魄のために墓参りも怠ってはいけないと考えます。先祖供養を滞りなく続けるためには家督を継ぐ男系の子孫を絶やさないようにすることも重視します。とここまでお読みいただいて気づかれた方も多いでしょうがここ奄美では儒教の影響も大きいのです。
先祖供養、男系の子孫繁栄、墓参りなど今知っている日本の仏教と重複しているような気がしますが、
実際のところ仏教本来は墓参りや先祖供養の思想はもともとありません。インドから仏教が伝来するまでに中国の儒教の影響を受けながら日本に渡ってきたことに由来することが大きいと思います。
言わずもがなですが仏教には先祖供養と墓参りの思想がないといってもそれらを軽視しているわけではありません。
続きは世界宗教・普遍的宗教について書いていきたいと思います。
<続く>
民族宗教とは特定の国家や民族に限定されながら信仰されている宗教で、ヒンドゥー教やユダヤ教、儒教や神道などが代表として挙げられます。
ヒンドゥー教はインド・ネパールで信奉され他の地域には広がっていません。インド系民族限定と言ってもいいと思います。
またユダヤ教は20世紀半ばになるまで自分たちの国を持てなかったユダヤ人の信仰と同時に社会を形作る結びつき(民族の紐帯)でもあります。ユダヤ教を信じる人たちは「ユダヤ教の神であるヤハウェに戒律を守ることを誓った者だけが救われる」と信じています。つまり自分たちは選ばれた民であるという選民思想は他の宗教を信じる人や民族を自分たちより劣っていると規定してしまうことが多々あります。
そういう歴史が影響してユダヤ教は他の民族に広がりません。またユダヤ教自身も異教徒がユダヤ教に改宗することにさほど積極的ではありません。
神道も古来から日本人の生活と融合し宗教であると同時に日本の伝統的な文化や規範などの側面も持っています。だからこそこれもまた日本国内限定です。
紀元前6世紀ごろ生まれた孔子を始祖とする儒教は、人は死ぬと空を漂う「魂」と地中をもぐる「魄(はく)」に分かれると考えました。儒教において死んだ人の魂を慰める先祖供養はとても重要です。また地中にある魄のために墓参りも怠ってはいけないと考えます。先祖供養を滞りなく続けるためには家督を継ぐ男系の子孫を絶やさないようにすることも重視します。とここまでお読みいただいて気づかれた方も多いでしょうがここ奄美では儒教の影響も大きいのです。
先祖供養、男系の子孫繁栄、墓参りなど今知っている日本の仏教と重複しているような気がしますが、
実際のところ仏教本来は墓参りや先祖供養の思想はもともとありません。インドから仏教が伝来するまでに中国の儒教の影響を受けながら日本に渡ってきたことに由来することが大きいと思います。
言わずもがなですが仏教には先祖供養と墓参りの思想がないといってもそれらを軽視しているわけではありません。
続きは世界宗教・普遍的宗教について書いていきたいと思います。
<続く>