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大島紬泥染め職人の家に生まれたごく普通の男がひょんなことからお坊さんに!? 全国的に廃寺傾向の中、奄美生まれ紬屋の息子が新寺建立を夢見て地域で奮闘中! 日常何気なく感じた事から仏教学まで分かりやすく書き綴っていきたいと思います。

2011年06月21日

刹那のいのち

映画『マトリックス』でモーフィアスが言う。

「現実とは何だ?明確な区別など出来ない。五感で知覚できるものが現実というなら、それは脳による電気信号の解釈に過ぎない」



世界五分前仮説と云うものがあります。
哲学者ラッセルの唱えた「この世は全て五分前に突如創造された」と仮定し、これを論理的に否定することは出来ないと云う哲学の問題です。かなりイジワル問題です。

躍起になってこれを反証しようとすればするほど、、論理的ではなくなってしまうんです。


「昨日の俺の記憶は?まだハッキリ覚えてるんだけど?」
「百何十億年前にあったビッグバンはどう説明する?」


などの否定的意見もあるでしょう。
ですがビッグバンや過去の出来事を知る方法としては情報でしかないのです。それを直接過去に戻って観たり聴いたりしたわけではありません。
個人の記憶なども先ほどの映画『マトリックス』の言葉を借りれば感覚器官から伝わってきた情報を脳が判断し現実のものと判断しているだけだと云えます。
その過去のデータも個人的記憶も「覚えた状態で」五分前にこの世の全てが突如出現したと言われたら、論理的反証は難しいものになってきます。
残るは「実感として(五分前からこの世界や自分が存在していたと)思う」って自己の感覚に頼らざるを得なくなってきます。




こんな仮説を考えるラッセルって何なの?
哲学っていつも意味不明なことばかりやって役に立つの?
そもそもこんな事をブログで書くジャクシンって馬鹿なの?死ぬの?

イエイエicon10
大丈夫ですicon23
仏教も釈迦哲学でありこの哲学の難題世界五分前仮説に似た考えがありまして…



刹那滅(せつなめつ)と云う仏教思想があります。初期仏教の思想です。
全てのものはその刹那(時間の最小単位、ものすごく短い時間を表す)生滅を繰り返し、絶対的な今しか存在せず過去や未来は存在せず、後にも先にも続いているように見える世界や私は「概念」でしかないと云う考えです。



過去を追うな 未来を願うな 過去はすでに捨てられた 未来はまだやって来ない 
現在のことがらを 現在においてよく観察し 揺らぐことなく動ずることなく
よく見きわめて実践すべし ただ今日なすべきことを熱心になせ
   釋尊



過去は過ぎ去ったものであり、未来はまだ来ません。
過ぎ去った過去を悔やまず、まだ来ない未来を憂い恐れない、今現在成せる最善のことを成せと言うのが仏教の教えです。


無常や刹那を知ることが真のリアリティであり
「今」「ここ」「私」を問うのが真の仏教であると思います。

  


Posted by ジャクシン at 15:37Comments(2)仏教